第七話
定時に委員会の集まりが終わると、恵と一緒に昇降口まで下りた。靴を履き替えると彼女はすまなさそうに眼前で手を合わせた。
「ごめんね、先に帰るよ」
「謝らないでよ、恵」
同様にすまなさそうな表情で理子が嗜める。理子は今日はここで親が迎えに来るのを一人で待たねばならないのだ。
足を挫いてからずっと車で送り迎えをされていた。今日はもう松葉杖なし歩けるようになったから電車で行くと言ったのだが、結局体を大事にしなさいの一言で言い含められてしまった。
昨日までは特段の急用がない限り、恵に迎えが来るまでの暫くの間話し相手になってもらっていた。彼女は自宅が学校に近いので一緒に待っていてもそれほど晩くならなかったのだ。だが、流石に同じ学校の生徒が狙われたとなれば、勝気な彼女でも怖くなったようで、まだ陽があるうちに帰ることとなった。
後ろ髪を引かれるように時折こちらを振り返りながらも遠ざかる背中を見送る。その姿が小さくなってついに周囲の風景に溶け込んでしまうと急に孤独感が頭をもたげた。黄昏時にはまだ早いというのに昇降口から外に広がる校庭は異例の静けさを保っている。今朝職員会議によって決定された放課後の居残り禁止令が徹底されているのだ。
今までこんな状況の中放課後の練習が許されていたのは、ひとえに生徒の気持ちを尊重してのことであった。年に一度の祭典を台無しにしたくはなったのである。当然、何もなしに許可していたわけではなく、保護者がチームを組んでパトロールをしたり、ひどく晩くなる場合は教師が自分の車で送ったりなど対策を講じてはいた。それでも被害が出てしまった以上、最早最終手段を取らざるを得なくなってしまったのだ。
手持ち無沙汰になって傘立てに腰を下ろした理子は、静寂に耐え切れなくなって流行の曲を口ずさんだ。リズムをつけて軽快に歌うと心に付き纏う寂寥感が剥がれ落ちて気分が晴れるような気がする。
自分の選曲に満足し二曲目を歌い始めたが、その途中で「赤い」というフレーズが出てきて途端に気持ちが沈んでしまった。
赤と聞いて思い出すのは、今巷を騒がす顔も分からない通り魔と最近知り合ったばかりのフミトと名乗ったあの赤いジャージの男。その二つの存在が考えれば考えるほど重なって見えるのだ。
まず、見た目の年齢がほぼ一致している。理子の見立てたところでは、フミトは高校三年生か大学一年生ぐらいだった。問題の犯人は十七、八ぐらいらしいので否定できない。さらに、服装がどちらも赤いのである。犯人がジャージを着ていたかどうかまでは判っていないが、赤である以上こちらも否めないのだ。
だが、理子がフミトを犯人だと考えた理由は他にもあった。
疑いを持った後思い出したのだが、彼女がフミトを見かけた二回ともそのすぐ後に通り魔が出現しているのだ。それもどちらも比較的に学校から現場が近い。大体フミトが過去にこの学校にいたとはいえ、何故ここにいるのかが分からないのである。
まさか、そんなことはないと思うけど。
自分を救ってくれたフミトを信じたい気持ちは強かったが猜疑心を抑えることは出来なかった。一度疑いだすと止まらない。あの日理子を帰らしたのはその後誰かを襲いたかったからと思えるし、あの変に赤茶けたジャージは返り血を浴びて変色したと考えられる。
フミトのことを誰かに話すべきかどうか迷っていた理子はふと目の前に誰かが立ったことに気がついた。俯けていた顔を上げるとそこには一昨日と変わらず赤いジャージを着たフミトが立っていた。
「やあ、約束どおりまた会いにきたよ」
「あ……」
唐突に現れたフミトに理子は青ざめた。恐怖に体がどうしようもなく震えた。
「どうしたの。また何か嫌なことでもあったかい?」
「あの、その……」
不思議そうな顔をして近づいてくるフミトに理子はその場から立ち上がる。二、三歩後ずさるが、彼は追うように手を伸ばした。
その時、彼の体から鉄くさい臭気が漂ってきた。
この臭いは!
それほど嗅いだことがなくてもそれが何の臭いなのか、理子にはすぐに理解できた。咄嗟に伸ばされたを避けて外の方へ飛びのく。
「?」
「いや、来ないで!」
強い口調で制すと、フミトは驚いたように目を大きく見開いた。差し伸べられていた手が引っ込められ、代わりにその表情がつらそうに歪む。
「気付い、たのか?」
暗い表情で問いかける彼に呑まれそうになりながらも、理子は精一杯の勇気を振り絞って睨み付けた。
「どうせ、私を殺す気でしょうけど、そうはいかないわ」
そう言って理子は身を翻して外へと走り出した。闇が迫った中を駆ける。
「待って! 違うんだ。オレは、オレは……」
追い縋るように後ろから声が聞えてきたが、理子は立ち止まらず猛然と走り続けた。
今日はここまで。
長かったこの話もあと1話で完結します。次回は最終回ということで長くなるかもしれません。最後までお付き合いいただけると幸いです。
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