赤いジャージの第3話です。
 題名は悩みましたが、やはりそのままストレートに「赤いジャージ」にしました。
 
 
 第三話
 
 目覚まし時計のベルに眠りを妨げられた理子は、寝ぼけながら布団から手を伸ばした。枕もとの時計を引き寄せ文字盤を見る。常より三十分ほど早い時刻に彼女の脳は一気に覚醒した。今日は朝練のある日なのだ。
 あくびを一つして、顔を洗おうと起き上がると左足に痛みが走った。
 ああ、怪我したんだっけ?
 鈍痛とともに思い出すのは昨日の失態だった。
 結局恵に抱えられて保健室に向かったところ、保険医に思った以上に捻挫が重症であることを告げられてしまった。その後は自転車で帰宅することもできず、父親に車で迎えに来てもらった。暫くは運動禁止、毎日湿布を貼って包帯で足首を確りと固定しなければならない。体育祭まで間に合うかどうか微妙なところであった。
 どうしようかな、朝練。
 リレーの選手なのに自分の不注意で怪我をしたため、どうもクラスメイトと顔を合わせづらかった。高校生だから子供のように悪し様に罵ったり、非難を浴びせかけたりはしないだろうが、間違いなく落胆することだろう。理子は自分にどれほどの期待がかかっているかをよく理解していた。
「理子!」
 ぼんやりと考え込んでいたら、母親に呼ばれてしまった。仕方なくベッドの脇に立てかけておいた松葉杖を手にとって部屋を出る。
 やっとのことで顔を洗い、朝食の席についた。
「さあ、早く食べて。お父さんが車で送ってくれるから」
 理子はテーブルの上に並べられた料理に伸ばした手を引っ込めた。母親が怪訝そうな目で見つめるが、一瞬前まであったはずの食欲が急に萎えてしまったような気がした。
 この状態では朝練は出ても意味がないだろう。怒りと心配の混じったたくさんの視線に耐えながら、仲間が練習に精を出しているのをただ見ているのはつらい。
 居たたまれなくなって理子は母親を睨んだ。
「でも朝練は、私……」
「駄目よ。怪我したからって遅れて行っちゃ。まず今日はみんなに謝らなきゃならないでしょう?」
 呆気にとられる理子の前にコーヒーが置かれる。ミルクがたっぷりと入ったそれは彼女の好物だった。
「いくら怪我を治すのが最優先とはいえ、練習できないならみんなの応援の一つでもなさい。なんならアドバイザーでもいいんじゃない?」
 両肩を叩かれて顔を覗き込まれる。母親の顔は楽しげに笑っていたが目の奥で優しさが輝いていた。自分のことを心配しているのだ。
「うん」
 気恥ずかしくなって俯きながらも頷く。それでも、十分思いは伝わったらしく母親の忍び笑いが聞えてきた。
 その笑い声にさらに恥ずかしくなって、理子は顔を赤くして冷めかけたバタートーストを手にした。

「それで来たの?」
「うん」
 クラスの朝練の後、寄りかかかっていた鉄棒から離れようとした理子は恵に捕まった。どうやら彼女は自分がここに来ると思っていなかったらしい。事の顛末を全て説明すると恵はほっと息をついた。
「でもよかった。理子が出てきて」
「え? なんで?」
 恵の言い方に引っかかるものを感じて聞き返すと、彼女はにやりと性質の悪い笑みを浮かべていた。これからからかいますという顔に理子はたじろいだ。こういうとき、恵にまともな答えを要求することは不可能である。
「知らないの、理子? うちの学校の七不思議!」
 七不思議と聞いて、理子は脱力した。
 七不思議とは何処の学校にも必ずといっていいほどある怖い話である。大抵は走る人体模型とかトイレの花子さんとか、夜中勝手に鳴り出すピアノとか型にはまったような話ばかりで、七不思議と名乗っておきながら八つ九つとそれ以上存在するときもある。一種の都市伝説だが今では笑い話の種であり、今時小学生だって怖がりはしないような代物だ。
「そんな子供騙しで心配してたわけ?」
 呆れかえって頬を突っつくと、恵は笑みを消して真面目な顔をした。
「だから、うちのはマジらしいのよ」
 その言葉を聞いて、さらに理子はがっくりと肩を落とした。何処の七不思議でも決まってこれは本当の話だと論理性のかけらもない根拠で主張する。大体、らしいと言っている時点で信憑性は皆無だ。
 理子は松葉杖を動かして先を歩き出したが、表情で話の続きを訊いてくれと促す友人に仕方なく歩調を合わせた。
「つまらないけど、一応聞いてあげる」
「やっぱ、理子って友達甲斐のある奴だわ」
 恵は大げさに何度も頷き、そして怪談を語るときのお決まりとでも言うように声を低めて喋りだした。
「私も詳しくは知らないんだけど、昔、理子みたいに足の速い子がいたんだって。でもその子体育祭前に大怪我して、体育祭に出られなくなったの。それでクラスの友達からすごく責められて、とうとう体育祭の日に自殺しちゃったんだって」
「自殺……」
「だから心配してたのよ。これのこと知っていたら出てこないかなって」
「知ってたって来るわよ。私が素直にいじめられるような人間かしら」
 そう力強く言うと恵は少し心配そうな顔をして続けた。
「だから、この話の本題はこれからなのよ。その自殺した子の霊が足の速い子を妬んであっちの世界に連れて行こうとするんだって。自殺したとき着てた赤いジャージを着て体育祭が近づくと放課後のグラウンドを彷徨っているんだって」
「赤い、ジャージ?」
 反射的に昨日のあの男の影が脳裏を過ぎった。黄昏時の校庭を走る、足の速い赤いジャージの男。
 まさか、あれは……。
 嫌な感じが心の中を駆けたそのとき、快活な笑い声が聞えてきた。
「あはは、本気にした?」
「もう、恵!」
 恥じらいもなく大笑いする友人に溜息をついて、理子は辿り着いた昇降口で松葉杖を放し下駄箱に縋る。恵がそれに気付いて手を差し伸べてくれる。助けられて靴を履き替える。ふと、そのとき小さな疑問が湧き上がった。
「でも、何で赤いジャージなの?」
「さあ? 開校以来白ジャージがうちの伝統のはずだけど。まあ噂だから尾ひれついたんじゃないかな」
 詳しくないと自分で言っていたとおり、友人は答えを知らなかった。理子はなんとなくすっきりしない気分で教室に戻った。
 
 
 
 今回はここまで。事前に言い忘れたのですが、著作権を侵害するような行為は止めてくださいね。そういう人はいないとは思いますが、一応念のため書いておきます。
 それではまた次回。
 
 
 
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