背中チャック
 

 僕には自慢の彼女がいる。彼女の名前は遥。端整な顔立ちと、そのスタイルの良さを見ると、一見するとモデルのよう。それなのに、高飛車ではなく、周囲にやさしく、気配りを忘れない。さらに、仕事も同期の男に達も悔しがるほどしっかり出来る。先輩である僕も遥の仕事振りには脱帽させられてしまう。まさに、才色兼備とは遥のためにあるような言葉だと思わされる。「恋は盲目」と言われるが、これらは決して僕の思い込みではなく確固たる事実だ。
 そんな遥と顔も業績も中程の僕とでは、決して釣り合わない高嶺の花だと思っていた。しかし、意外にも遥は僕を気に入ってくれて、僕のことを好きだといってくれた。「事実は小説より希なり」とはまさにこのことだ。
 ただ一つ、僕には気になることがあった。以前、遥と食事に行ったときのこと。遥が前かがみになったときに襟元の隙間から見えた彼女の背中にチャックが在るように思えたのだ。下に着ていた服のものかもしれないし、僕の思い過ごしかもしれない。それでも、僕はそのことはなかなか遥に聞けずにいた。

 季節は初夏。まだ付き合い始めて間もない僕と遥は僕の部屋で始まったばかりの輝く季節の予定を考えていた。二人寄り添い、テーブルの上に置かれたパンフレットの山を眺める。
「夏休みを利用して、どこか旅行に行きたいね」
 僕も遥の意見に賛成した。けど、夏休みはまだ当分先。それまで待ちきれない。
「今度の休み、プールにでも行かない? せっかくいい天気の日が続いてるんだからさ」
 僕の提案に遥は暗い顔。ちょっと間が開いてから遥は答えた。
「プールはちょっと…」
 言いにくそうに言葉をつむぎだす。
「なんで?」
「やっぱり、ほら、紫外線って肌に悪いじゃない。私、肌白いから、すぐ赤くなって痛くなっちゃうの」
 腕をさすりながら遥は言う。白く透き通るような肌。確かに、これでは紫外線に弱そうだ。
「どうしてもダメ? せっかく夏なんだし、夏っぽいところに行きたくない?」
「うーん、やっぱり恥ずかしいのもあるし」
「そっか、遥の水着姿、ちょっと見てみたかったのになぁ」
 溜め息を漏らす僕。
「徹ったら、なに考えてるのよ」
 そう言いながら遥が僕の背中に跳びかかる。遥の体重は軽かったが、不意を突かれて僕は遥とともに床に倒れてしまった。
 エアコンで冷やされていた床に二人で寝転がる。自然と手が繋がれていた。体温が床に奪われていくのがはっきりと感じられる。それなのに、何故か体の芯は暖かい。
 遥と不意に目が合う。どうってことないことのはずだが、妙に緊張した。
 僕は遥に近づき、その唇に自分の唇を合わせた。今まで何度か遥とキスをしたことはあったが、今度はそれとは違う、深く濃密なキス。僕はそっと遥の服に手をかけた。すると、遥がその僕の手を掴む。
「どうしたの?」
 僕はちょっと不安になった。もしかしたら、ここはそういう場面ではなかったのだろうか?
「私、服は自分で脱ぐから、ちょっと待ってて」
 そして遥は立ち上がり、僕のベッドの上に腰を降ろした。
 僕がその姿を起き上がりながらずっと見ていると遥が咎めてきた。
「ちょっと、恥ずかしいじゃない。あっち向いててよ」
「そんな、だってこれから裸になるんだろ?」
 今更恥ずかしがっても意味がないように思えた。
「それでも、服を脱ぐところを見られるのは恥ずかしいの。いいからあっち向いててよ」
 僕は少し納得がいかなかったが、仕方がなく遥とは反対側の壁を眺めていた。コンポやテレビなどが並べられている見慣れた僕の部屋の一角。
「もういいよ」
 まるでかくれんぼの鬼に言うような口調で言う遥の声に僕は振り向く。遥はベッドに横たわり、その白く透き通った肌を惜しげもなく僕に見せていた。
 僕は焦る気持ちを抑えながら服を脱ぎ捨て、ゆっくりとベッドに近づき遥の上に覆い重なった。再び深く濃密なキス。
 キスを続けながら僕の右手は遥の身体をなぞっていく。仰向けに寝ているのにも関わらず天に向かって張っている遥の乳房を軽く揉む。遥の息づかいが荒くなるのが感じられた。
左手を遥の背中に回そうとすると、遥がその左手を掴む。濃密に交わるキスを一旦止め、遥が僕を見つめる。
「徹…」
「なに?」
 遥はゆっくりと掴んだ僕の左手を自分の恥部へと近づけていく。
「もっと徹を感じさせて」
「わかった」
 僕は僕の全身で遥を堪能した。右手も左手も口も両足も僕自身も、僕の全てを使い遥を堪能した。遥の身体は過去のどんな体験よりも甘美だった。

 事を済ませ、僕はベッドに横たわっていた。甘く官能的な余韻にずっと浸っている。遥は一足先にシャワーを浴びていた。
 そのとき、僕の脳裏に今まで気になっていたはずなのにすっかり忘れ去られていたことが不意に蘇ってきた。遥の背中に見えたように思えたチャックのようなもの。結局、事に及んでいる最中でさえ、遥は背中を見せるどころか、触らせてさえくれなかった。
 僕は決心した。遥は今、シャワーを浴びていて無防備なはずだ。確かめるには今しかない。
妙な好奇心が僕を奮い立たせた。そっと気付かれないようにバスルームに近づいていく。脱衣所の前に掛けられたカーテンを静かにあけ、続いてバスルームの扉を開けた。
「遥」
 しかし、バスルームの中に遥の姿はなかった。そこにいたのは…

 最近、気付いたことがある。僕の背中にも実はチャックがあったということ。これが生まれたときからあったのか、最近になって付いたのかはわからない。そんなことはまったく気にならなかった。
 僕の背中にもチャックがあったのだから、遥の背中にチャックがあるかどうかなんてことも、気にしなくなってた。
 僕は今も遥と幸せに暮らしている。近々結婚もする予定だ。僕は今、とても幸せだ。

 
 
 
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