春―始まりの季節―
 
 2005年春。俺は大学の入学式に向かうため、地下鉄九段下の駅を出て階段を上った。階段を上った先では空が一面ピンク色に染まっていた。季節は紛れもなく春。新しい、始まりの季節。
 髪も染めた。バッグもオシャレなものにした。携帯も最新機種にした。準備は完璧だ。
 窮屈で退屈な入学式の時間を過ごし、俺は大学へ向かった。
 大学内は異様な熱気に包まれていた。門の所から人の道ができていて、新入生がそこを通ると無数の手が新入生にそれぞれのサークルのビラを渡そうとしていた。
 俺もその道を通り抜けようとする。無数に伸びる手から大量のビラを受け取り、なんとか校舎に入ることが出来た。新入生のガイダンスが行われている間はそのビラの選別に追われていた。いくつか目ぼしいサークルが見つかった。
 ガイダンス終了後、サークルの名前を頼りにお目当てのサークルを探した。途中、文学研究会などいくつか無駄な勧誘があったが適当に断っておいた。俺が目指すサークルはそこではない。
 あった。オールラウンドサークル・TOGETHER。俺が探していたサークルはここだ。
 サークルの机の傍を通ると早速声をかけられた。内心の興奮を抑えつつあまり乗り気でない感じを出しながら相手の話を聞いた。
 相手の話を聞いていくうちに徐々に自分の心にかけた鍵を外していく。まるで相手の話を聞いて徐々に興味を持ってきているように感じさせるために。
 話を聞き終え、早速新歓コンパに誘われる。勿論OKして連絡先を教えた。
 TOGETHERの机を後にしてすぐ次のサークルを探しに行った。
 この日一日でかなりの数のサークルに声をかけてもらうことが出来た。そのうちいくつかはすでに新歓コンパにも参加することになっている。出だしは上々のようだった。

 オールラウンドサークル・TOGETHERの新歓コンパの日。俺は意気揚々と会場の新宿の居酒屋に向かった。雑誌で読んだオシャレな服に身を包み、指輪やネックレスもした。髪形もしっかりと決めたし、これまた準備に抜かりはなかった。
 集合場所に向かうとそこには以前話をしてくれた先輩方の他に新入生らしき人間が何人もいた。サークルがサークルだけにみんな華やかな雰囲気である。心が躍る。
「よし、揃ったな。行くぞ」
 部長と言っていた先輩の先導で俺たちは居酒屋へ向かった。途中、何人かと言葉を交わしながら向かう。第一印象はそれほど悪くは内容だった。

 いよいよ新歓コンパの時がやって来た。この日のためにいくつもの本を読み漁り、ネットで様々な情報を検索した。いける。新しい自分。

 2003年夏。俺はクラス中から無視される存在になっていた。始まりは突然で、特に大きな理由はなかった。多分、いつも教室で本を読んだりゲームをしたりしていたのが一部の人間の気に食わなかったのかもしれない。最初はそういった連中だけが自分を無視するようになっていた。その時は特に気にしなかったのだが、次第にクラスの他の人間も俺を無視するようになった。最後には一緒に本を貸し借りしたり、ゲームをしたりして遊んでいた友達も俺を無視するようになった。俺と同じ目に遭うのを恐れたようだった。
 結局、それは卒業まで続いた。その間、俺はずっと一人だった。

 あんな思いはもう真っ平だった。
 だから大学進学にあわせて髪も染めたし、オシャレなバックも持ったし、携帯も最新機種に変えたし、ファッションにだって気を使った。友達を作るために。

「俺、サッカー好きなんだよね。特にレアルのジダーヌとか」
 俺の言葉に周りが一瞬静まり返る。とりあえずサッカーの話題をしておけば間違いはないはず。それなのに、なぜ?
「なんだよそれ、ジダンだろジダン。まぁ、そうやってカタカナ表記されることもあるけどさ、あんま言わねぇょなぁ?」
 輪の中にいた一人がそう訂正する。すると回りの人間もその意見に頷く。
「ほんとにサッカー好きなの?」
 疑いの目が俺に向けられる。ヤバイ。
「やだなぁ、ほんとだよ、ほんと。中田とか中村とかずっと見てるよ〜」
 額に汗を浮かべながらなんとか言葉を紡ぐと、辺りはこないだの日本代表の試合の話題に切り替わっていった。なんとか疑いの目からは逃れる事は出来たが、その会話に入ることは出来なかった。雑誌で選手の名前などは知識として吸収していたが、試合展開や戦術なんかはまったく頭に入っていなかったのだ。

「ドラクエやった? 受験受かったからさ、やっと出来たよ〜」
 輪の中の一人が「ドラクエ」の話題を振ると、輪の中にいた数人の男が反応する。
 なんとか便乗することのできる話題が出て俺はほっとしていた。それなら得意だ。
「FFはまだでねーのかな? 早くやりてーんだけど」
 そしてこれから期待作の話に移る。ここはチャンスだ。
「あとナムコ×カプコンとかも気になるよね〜」
 俺の言葉の後、やはり周りが一瞬静まり返った気がした。皆「なにそれ?」という感じで俺の顔を見ている。俺は黙り込み、他の連中は話を再開した。
 結局また、俺は輪の中に入ることは出来なくなっていった。

 そんなことが何度か続き、次第に周りの会話から置いていかれるようになっていた。気付いたら俺に話を振る人間もいなくなり、俺はたった一人、淋しくお酒を飲んでいた。胸が苦しかった。
 すると隣に突然サークルの部長がやって来た。一人でいた俺を見て哀れにでも思ったのだろうか。それであったら、そんな哀れみはいらなかった。
 しかし、部長は俺に哀れみの言葉をかけるわけではなかった。
「あんま無理すんなって」
 その言葉には驚いた。この男は俺の事を知っているのか?
「な、なんでそれを?」
「なーんとなくな」
 そう言って部長は照れ笑いを見せる。微妙に染まった頬が余計に照れているように感じさせた。
「無理に話題に入る必要はないんだよ。無理したって楽しくないだろう?」
 俺は静かに頷いた。
「無理に変わる必要なんてないんだよ。自分のありのままでいれるのが一番いい。それでもまだ、ウチのサークルに入りたいって言うのなら喜んで迎え入れるよ。な?」
 俺はまた静かに頷いた。その時俺は、もしかしたら泣いていたかもしれない。

 俺は結局、TOGETHERには入らなかった。
 部長はともかく、他の連中とは反りが合わないのはよく分かっていたからだ。無理をしていても楽しくはない。
 俺は俺に合うサークルを探してみようと思う。
 俺が俺でいられるような場所を。
 
 
 
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